犯罪心理を考える場合、忘れてはならないのは、善悪の心理学だ。
関連部分を引用してみよう。
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心理学と善悪
心理学の世界で、「善悪の錯覚」なり、「善悪中毒」という言葉は、まだ必ずしも一般的とはいえません。 善悪という言葉自体が、倫理学なり宗教の範疇であって、心理学という学問には馴染まないという印象もあるかも知れません。
しかしながら、倫理上の価値基準(=何が善で何が悪か)といった土俵を離れ、善悪という言葉・観念だけを純粋に取り上げてみると、その言葉・観念がいかに容易に錯覚の原因になるのか、という人間心理を観察することができます。 ―そして更に深く人の心を覗き込めば、その錯覚がどれほど危険なものかも観察することが出来るでしょう。
善悪の錯覚は、個人の心の葛藤を生むだけではなく、何千年にもわたって人類という巨大な集合体の様々な悲劇―戦争、テロ、抑圧、殺人、犯罪、拷問、いじめ―などの、根本的な原因となってきたと考えることが出来るのです。
人々が善悪が生む錯覚に気づき「善悪中毒」という心の病を克服しない限り、人類は永遠に争いを繰返すことでしょう。さらにいえば、「善悪」の強迫観念・錯覚を抜きにしては、犯罪心理学、犯罪予防心理学、葛藤や戦争の心理、さらには二重人格・多重人格といった異常心理についても、理解を深めることは大変に難しいのではないでしょうか。
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実際、犯罪者を犯した少年でも、犯罪者でも、あるいは警察でも、その発想は、「犯罪を犯したお前が悪い」であるか、「俺を犯罪に追い込んだのは、社会が悪い。親が悪い」といったもので、必ず善悪がそこには、絡んでくるものだ。
その善悪がどう作用してくるのか、その心理を見極めることは、少年に限らず犯罪心理を考える上で、きわめて重要なことと考えられる。
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